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『サイコ』(''Psycho'')は、1960年に製作されたアメリカ合衆国の映画。アルフレッド・ヒッチコック監督によるサイコ・スリラー系のサスペンス映画で、全編がモノクロ映像である。音楽はバーナード・ハーマン。ヒッチコック監督の前作『北北西に進路を取れ』に引き続き、タイトルデザインをソウル・バスが担当。脚本はジョセフ・ステファノ、作家ロバート・ブロックがエド・ゲインの犯罪にヒントを得て執筆した小説『サイコ』が原作。撮影はユニバーサル映画のスタジオ。配給はパラマウント映画。 == あらすじ == 金曜日の午後、アリゾナ州フェニックスのホテルで、地元の不動産会社のOLのマリオンは恋人サムと情事にふけっている。カリフォルニアで金物店を営むサムは、経済的な理由でマリオンとの再婚に踏み切れずにいる。職場に戻ったマリオンは、客が払った代金4万ドルを銀行まで運ぶことになるが、彼女は札束を持ったまま、車でサムのいる町へ向かってしまう。その道すがらパトロールの警官や中古車店の店主に不審の目を向けられるが、彼女の持ち逃げは表沙汰になっておらず、それ以上のことは起こらない。 さらに車を進めるうち、たまたま看板が目に留まったベイツというモーテルに寄る。そこは青年ノーマンが一人で切り盛りする小さな宿で、彼は隣接した丘の上に建つ屋敷に住んでいた。マリオンは宿の応接室で食事をとりながらノーマンの話を聞く。屋敷には母親もいて、数年前から彼が世話をしてきたという。客室に戻ったマリオンがシャワーを浴びていると、何者かが刃物を振りかざして襲ってくる。何度も刺された彼女は床に倒れ、絶命してしまう。直後に飛び込んできたノーマンは浴室を清掃し、死体と所持品を彼女の車のトランクに押し込み、近くの沼まで運ぶ。車は4万ドルの札束もろとも、沼の中に沈んでいく。 サムの店に、マリオンの姉ライラが妹の消息を尋ねに来る。そこにアーボガストも加わる。アーボガストは、マリオンに金を持ち逃げされた関係者が警察沙汰を避けるために雇った私立探偵だった。店を出た探偵は、街中の捜索を続けるうちにベイツ・モーテルに行き着く。宿帳からマリオンが訪れたことは確かめたが、不審な態度をとるノーマンを問い詰めても、手がかりは得られない。母親に事情を聞きたいと言っても、会わせようとしない。アーボガストはいったん退き、得られた情報を電話でライラに伝える。モーテルに戻った探偵は、ノーマンの姿が見えないので屋敷のほうに回る。ところが玄関から2階へ通じる階段を上っていくと、階上の部屋から飛び出して来た人物に襲われ、階段の下に転落してしまう。 探偵からの連絡が途絶え、保安官に相談しても助力を得られなかったので、サムとライラは2人だけでベイツ・モーテルに乗り込む。サムがノーマンを引き留めている間に、屋敷の中で母親を捜し回ったライラは、やがて地下の部屋で椅子に後ろ向きに座った女性を見つける。肩に手を触れると椅子が回って、干からびた死人の顔面が現れる。驚いたライラが悲鳴を上げた瞬間、戸口から女の姿をした人物が刃物を振り上げて襲いかかってくる。その直後に、追いかけてきたサムが背後から取り押さえる。かつらが外れ、衣装がずれて現れた人物はノーマンだった。 精神科医が拘留中のノーマンを診察し、関係者の前でその結果を説明する〔精神科医リッチモンドの説明は、ウィキクォート Psycho (1960 film) に台詞の全文がある。〕。ノーマンは父親を早く亡くし、母親の手で育てられた。母親は執着心の強い、わがままな女だった。何年間にもわたって、母親と息子は2人だけの世界で暮らしてきた。その当時からすでにノーマンは精神に異常を来していた。やがて母親に愛人ができたとき、ノーマンは自分が見捨てられたと感じた。そして母親と愛人を2人とも殺害した。 母親殺しは、とくに息子にとっては耐え難い犯罪なのだろう。ノーマンは罪の意識をぬぐい去るために、母親の死体を盗みだし、状態を保つための処置を施した。それだけでは不足に感じて、母親の代わりに話し始めた。彼は自分自身と「母親」の両方の人格でいることもあれば、「母親」が全ての人格を支配することもあった。ただし完全にノーマンに戻ることはなかった。 ノーマンはあまりにも病的に母親を嫉妬していたので、母親も自分に対して嫉妬していると思い込んだ。それゆえ、彼が他の女性に強く惹かれると、彼の中の「母親」が激怒した。彼がマリオンに会ったとき、彼女に心を動かされ、彼女を欲した。それが「嫉妬する母親」を爆発させ、「母親」がマリオンを殺した。殺人のあと、深い眠りから覚めたかのようにノーマンは元に戻った。そして義務を果たす息子のように、自分の母親が犯したと確信する犯罪のすべての痕跡を隠した。 ノーマンの女装は、母親が生きているという幻想を抱き続けるための精一杯の手段だった。現実があまりに近くに迫ってきたとき、危険や欲望が幻想を脅かし始めたとき、彼は女物の服をまとい、安物のかつらまで付けて女装した。そして屋敷をうろつき、母親の椅子に座り、母親の声でしゃべった。 1つの心に2人の人格が同居すると、その2人は必ず闘争になる。もはやノーマンの「母親」はその闘争に最終的に勝利し、彼を完全に支配している。ラストシーンは、毛布を羽織って椅子に腰掛けているノーマンの姿を映しながら、自分は無害であると言う「母親」の声が流れ、ノーマンのにやついた顔のアップに、一瞬母親の死体の顔が重なる。そして沼の底から沈んだ車が引き揚げられる映像で幕となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サイコ (1960年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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